人々の様々な思いが交錯する夢の架け橋
東は三陸の海、西は海岸段丘に囲まれた岩手県田野畑村は陸の孤島でした。
田野畑に赴任する役人や教師があまりの険しい断崖の道に「行くか、戻ろうか」と思い悩んだ思案坂、職を投げ出してまで帰ってしまった辞職坂でようやく隣村とつながっていたということです。
深い谷が人々の往来を阻み、隣村への移動もままならなかったかつての田野畑村。
しかし、思案坂には1965(昭和40)年に槙木沢橋が、辞職坂には1984(昭和59)年に思惟大橋が架橋されました。
この2橋によって、交通の便は大幅に向上し、交流人口の拡大にもつながりました。
一方、槙木沢橋は開通してから40年が経ち、幅員6mと狭く大型車両のずれ違いが困難なうえ、歩道も無かったことから2006(平成18)年、この橋と平行して三陸北縦貫道一宮古-久慈間)の「思案坂大橋」が開通し、V字谷地形の槙木沢渓谷に新旧の橋がダブルシルエットを描き出しています。
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かつては多くのドラマを生んだ深い谷に架かる思惟大橋 |
植林活動に結実、村民との交流
1961(昭和36)年、三陸一帯は森林火災が相次ぎ、大きな被害を受けて田野畑の山も焼けてしまいました。
しかし、その前年にゼミの環境教育の一環として田野畑に滞在した早稲田大学の学生たちが恩返しにと始めたのが植林活動。その植林活動は後輩へと代々引き継がれ、合宿しながらの森林の手入れや村民との交流を重ねてきたのです。この会は「思惟の森の会」といい、長年にわたって育てた森は「思惟の森」となり、橋の名前の由来にもなっています。
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槙木沢橋と思案坂大橋のダブルシルエット |
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