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なるほど!橋の構造シリーズ(4)
 
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吊橋

◆吊橋の始まり◆
  丸太や石で架けられた桁橋と同様に古来、山間の谷を渡るために葛(かずら)など植物のつるを両岸に渡した橋が吊橋です。
  我が国でも、しらくちかずら(サルナシ)などの葛類を使って架けられた「祖谷(いや)のかずら橋」(徳島県西祖谷山村 現在は[三好市])が知られています。大正時代に一度ワイヤーを使った吊橋に架け替えられましたが、1928(昭和3)年、地域振興目的として再びかずら橋として復活しました。

「祖谷のかずら橋」長さ45m、幅2m、谷からの高さ14m。日本三奇橋の一つで、重要有形民俗文化財に指定されています。

◆吊橋の原理◆
 吊橋は塔、ケーブルおよび補剛桁で構成されています。ケーブルの張り方は陸地から塔へ、そして反対の陸地へと放物線状に張り渡します。補剛桁は、このメインケーブルからハンガーケーブルによって吊り下げられます。メインケーブルの両端は、ケーブルの力を大地に伝えるアンカレッジと呼ばれる巨大なコンクリートの塊でできています。
  吊橋の補剛桁に荷重が載ると、ハンガーケーブルがその荷重をメインケーブルに伝えます。メインケーブルには、引張力が作用して、塔に圧縮力を発生させてケーブル端部のアンカレッジに伝えられます。
  吊橋は、橋長が長くなると、荷重よりも自重が支配的となり、同時に風を受けても振動しないように安定性を保つことが大切となります。吊橋の発展過程は、この風の作用に対する安定性を求めるための挑戦の過程でもあったといえます。

「九重“夢”大吊り橋」大分県球磨郡九重町にある中央支間390m、谷からの高さは最大173mの無補剛吊橋としては日本一の規模の吊橋。2006(平成18)年に完成。

◆吊橋の転換期◆
 近代吊橋の設計理論は、19世紀の後半に補剛吊橋理論、および弾性理論が公表され、20世紀に入るとすぐに弾性理論を発展させた弾性分配理論がまとめられました。この理論は、水平力への抵抗をケーブルに期待することにより補剛桁の剛性を下げることができるとするもので、この方法で設計されたのが、1909(明治42)年に完成したマンハッタン橋、1931(昭和6)年のジョージワシントン橋、1937(昭和12)年のゴールデンゲート橋、1940(昭和15)年のタコマナロウズ橋でした。
  また、この理論は耐風安定性に対して不十分であったことが、スパン853mのタコマナロウズ橋が、補剛桁のねじれ剛性の不足から完成後わずか4ケ月で19m/sの風速で落橋したことによって証明されました。結果的にこの落橋事故は、近代吊橋技術の発展で動的耐風安定性を考慮する転機となる重要な出来事となったのです。

◆長大橋への道◆
 吊橋の中央支間の長大化は、耐風設計技術の向上とともに、メインケーブルの鋼線強度増大にも寄与しています。
  1883(明治16)年に建設されたブルックリン吊橋には112kgf/mm2のケーブル鋼線が使われましたが、その後鋼線強度は増す一方で、1970年代になると、1973(昭和48)年の第1ボスポラス橋や関門橋で、160kgf/mm2の鋼線が初めて使用され、1981(昭和56)年のイギリスのハンバー吊橋にもこの強度の鋼線が使用されました。明石海峡大橋にはさらにこれを上回る180kgf/mm2の鋼線が使用され、当初計画では4本のメインケーブル(160kgf/mm2)が2本に変更され、自重を軽くすることができました。
  また補剛桁には、トラス構造が多く採用されてきましたが、1966(昭和41)年に完成したイギリスのセバーン橋には初めて偏平の流線型断面の箱桁が採用されました。これ以後、日本では1988(昭和63)年の本四架橋の大島大橋、1998(平成10)年の北海道の白鳥大橋に流線型箱桁が採用されました。

「明石海峡大橋」兵庫県神戸市垂水区東舞子町と淡路市岩屋とを結ぶ明石海峡を横断して架けられた世界最長の吊橋。建設当初は全長3910m、中央支間1990mでしたが、1995(平成7)年1月17日の阪神・淡路大震災で地盤がずれ、1m伸びました。

 

 


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