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松江大橋
 
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道の駅「秋鹿なぎさ公園」から約13q

 水の都として知られる城下町・松江。市を南北に分ける大橋川には4本の橋が架かっていますが、もっとも深い歴史や物語を持ち、文学作品にもしばしば描かれたのがこの松江大橋です。
  ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の松江滞在は1年2ヵ月だったそうですが、この町を限りなく愛し、美しい町並みや温かい人情を活写し、随筆「神々の国の首都」は、松江の名を国際的に広めました。中でも、「下駄のかしましい音が、橋の上で段々大きくなってゆく。その大橋川の下駄の音は、一度聞いたら忘れることができない。大舞踏会のようで、テンポの速い陽気な音楽に聞こえる」とこの橋上を歩く人々をつづった一文は有名です。
  初代の橋は、江戸時代初期の1608(慶長13)年、松江藩初代藩主、堀尾吉晴公が、松江城を築く大量の資材を馬や荷車で運び込むために大橋を造ったといわれています。欄干は御影石でできていて、唐金の擬宝珠(ぎぼし)が飾り付けられています。
  もっとも、松江大橋の名が定着したのは1891(明治7)年の14代目からで、それまでは「白潟橋」「カラカラ大橋」「元明大橋」「吉祥大橋」などと呼ばれていました。
  橋中央の両サイドには川にせり出した展望台があり、宍道湖や大橋川両岸の町並み、行き交う船などを眺め、水都情緒を堪能することができます。地元の人たちもこの景観を大切にしており、架け替えの話も出ていますが、水の都・松江と松江大橋の伝統や文化を守ろうという市民運動も活発です。


現在の「松江大橋」は、1937(昭和12)年に架けられた17代目で、全長134mのゲルバー式鋼鈑桁橋の構造を持っています。下部の基礎工事には、日本では始めて潜函工法が採用されました。(17代目は橋年齢73歳)

 

 


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