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新永安橋
 
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道の駅「醍醐の里」から約59q

  日本三大奇祭の“西大寺の裸祭”で知られる高野山真言宗別格本山西大寺(観音院)の門前町として栄えた同市西大寺地区を流れる吉井川は岡山県の三大河川のひとつといわれていましたが、高瀬舟が往来した江戸時代には橋をつくることが禁止されていました。
  その後時代も明治に入ると地元有志が木橋を架けましたが、架けるたびに洪水で流され、何回も架け替えを繰り返しました。1932(昭和7)年に架けられた旧永安橋は橋を渡ったところが西大寺の門前でした。
  西大寺地区と岡山市街地を結ぶ大切なルート、橋が西大寺地区の繁栄を支えてきました。旧永安橋は幅員が狭く車のすれ違いもままならないため、旧永安橋の下流に新しい橋が架けられ新永安橋と名づけられました。
  吉井川左岸で行われた、国交省発注の河川敷公園の工事中に大正時代の永安橋の橋脚が発見されました。地元では「西大寺の繁栄の足跡を後世に伝えたい」として2007(平成19)年に永安橋歴史記念碑を発見現場に建立しました。


1986(昭和61)年に開通した県道岡山牛窓線の橋。連続箱桁橋で主径間は67.1m、全長は405m。旧永安橋と違い片側2車線のモータリゼーションに対応できる近代的な橋で、児島湾から数えて2つ目になります。廃止された旧永安橋は赤い鉄製アーチの橋で、地元民の間で存続運動が起きるほど親しまれていました。

 

 


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