─ 橋梁の過去、現在、未来 ─ |
新旧会長に聞く |
山川副会長 橋建協の5月の総会におきまして、伊藤學前会長から川田忠樹新会長にバトンタッチをされました。両会長は、これまでいずれも橋梁分野で長年にわたって多大な貢献をされた方であります。また、個人的にも親交が深いと伺っております。そこで、本日は、会長交代を契機に、日本の橋梁の過去、現在、未来について、幅広く語って頂きたいと思います。 まず、皮切りとして、平成16年秋に公正取引委員会の立入検査で始まった鋼橋業界の談合事件は、翌年、刑事告発にもいたり、業界としては、その歴史に大きな汚点を残すことになりました。その混乱の中で、協会活動も制約を余儀なくされ、また会長不在という異常な事態が半年以上続くことになりました。そうした状況で、平成18年1月、学界に身を置かれてこられた伊藤學先生に会長に就任いただき、立て直しのために大変ご苦労をいただいたわけであります。 伊藤先生から、そのあたりの経緯とかご苦労の一端をお話しいただければと思います。 |
伊藤前会長 お話を受けたときは本当にびっくりしたのですけれども、考えてみますと、私、協会の外部監査役のような立場で、監事として7〜8年、務めてまいりました。そういうことで、外部の人間とは言え、多少、協会の中身について知っているだろうということで、お声がかかったのではないかと思います。 ただ、私、学界に身を置いてきたとは申せ、実際のエンジニアリングのプロジェクトに結構関係をしてきたわけでございます。それらを通じて、会員会社の橋梁技術者の方々と長年おつき合いをしてきたことで、多少お役に立つかと思い、お引き受けしました。 何をやったかというのは、自分としても少し疑問はありますけれども、身内への励ましと外部への正しい発信に心がけることを目標にしてきたつもりです。 ともあれ、ここでようやく肩の荷を下ろして、ほっとしているところです。 |
山川副会長 川田新会長は、その当時、いわば協会活動の外におられたわけですが、伊藤会長のもとで協会活動の状況をどういうふうに見ておられましたでしょうか。 |
川田新会長 先ほども話が出ましたが、会員企業に公正取引委員会や検察が入るという鋼橋業界のあの事件は、本当に大変な事件でございまして、協会としても大変なことでございました。 それだけに、伊藤先生は、本当に私たちのような業界とは違ったところで学問の世界にいらっしゃった訳ですが、先ほどのお話にもございましたように、いろいろご関係を持ってご指導頂いたわけです。そういう意味で、外から見ておりまして、本当に先生しかいらっしゃらないなと、よくぞ先生にお引き受け頂いたと思って、感謝に堪えませんでした。 この間の先生のご苦労、お働きには、何とお礼申し上げて良いか判りません。実は、その後を受けて、私で務まるかという不安も一杯ですが、今回こういうことになりまして、何とかやらせていただこうと考えているところでございます。 |
山川副会長 伊藤先生には、先ほどお話がありましたように、監事を務められて、協会活動について、従前から長くお世話になってご指導頂いているわけでありますけれども、今回、会長として中でつぶさに見られて、印象に残ったこととかをお話し頂ければと思います。 |
伊藤前会長 先ほど、以前はこの協会の監事を仰せつかっていたと申しましたけれども、その他にも協会の記念事業で、「日本の橋」という非常に立派な本が出版されていますが、協会の30周年、40周年記念にあたっての大改訂に、委員長を務めました。そのことでも、協会は非常に関係があったわけです。 申し遅れましたけれども、川田新会長から、この談合事件は非常に大きな事件であったというお話があったんですが、協会は直接それには関係なかった。もし直接の関係があったら、私としても引き受けにくいところがあったのですが、直接の関係がないことも、お引き受けした一つの理由です。 協会とのおつき合いの話に戻りますと、私がちょっと不満に思っていたのは、閉ざされた組織であったこと。例えば、学との連携についても、一時話が出たことはあったのですが、充分にはなされてこなかった。ですから、これは自分にも責任があったのですけれども、これからも開かれた協会ということで、産官学の連携をとって頂きたいと思います。 会長不在期間があったために、私の会長としての任期は約1年半、考えてみればあっという間に過ぎてしまったわけですが、この間に、できるだけのことをしようと、山川副会長を初め、幹部の方々ともいろいろ相諮って、会長就任に当たり、現下の協会の見解と方針を改まった形での会長メッセージとして発信しました。これは従来にはなかったことだと思います。 二番目に、委員会に参画していらっしゃる方々以外の、会員会社の一般の方々にとっては、協会の存在が希薄ではなかったか。そこで、若手の技術者の声を聞く場として、会長直属の研究会を発足させました。ただ、若手とはいっても、結果的には中堅技術者になったのですが、彼らが「橋の未来研究会」という名前で、協会への提言を出してくれました。これは、それで終わったわけではなくて、まだ活動を続ける予定にしております。 それから、一番大きなことは、昨年の秋に鋼橋業界の再生ビジョンの成案を得て、それを活動に移そうということでした。これは、いろいろな委員会の方々がアイデアを持ち寄って作ってくださったのですが、再生ビジョンを作るだけでは話になりませんので、それを具体化するためのアクションプランを策定し、これを順次実現させていこうということで、行動に移し始めております。 更に、鋼橋の業界もこのままの形でずっといけるものじゃない。将来どう考えたらいいかということで、橋梁業界の将来像検討特別委員会を作って頂いて、いろいろ議論をしてもらっています。 三番目に、これも本号でアナウンスされますけれども、協会活動の活性化のインセンティブを高めるために、表彰制度を設けた方が良いだろうということで、功労賞的な表彰制度を発足させることにしました。 これらが、この1年半の間に、それまでの協会活動とは違った動きとしての取り組みだったのですけれども、残念ながら、この間、さきの談合事件の余波で裁判があったりとか、会員会社の指名停止とか営業停止があったりして、非常に制約を受けたものですから、そう目立った成果を上げることはできませんでした。これからのことは、川田新会長の役目でございましょうから、期待したいと思います。 正直いって、私の印象としては、この1年半、皆さん苦境の中で、特に委員会の方々はよくやってくださったと思います。もう一つ、国土交通省などの関係者の方々、他の学・協会の方々も、協会に対しては非常に温かく接して励ましてくださったり、これから期待しているよとおっしゃってくださったり。それは非常にありがたく思っています。 最後に、私の反省として、若手技術者の声を聞くことを始めたのですが、結局現場の声は十分に聞けなかった。これは、私が育った環境が違うから、いきなり入っていきにくかったこともあるでしょうし、会長として出しゃばって現場へ行くと、かえって混乱させてしまうこともあって、遠慮した点もあるのですが、それだけがちょっと心残りです。 |
山川副会長 再生ビジョンのお話も出たのですが、私にとっても印象深かったのは、特に議論の過程で、参加してもらった人たちの間で、今回の事件に対する強い反省と、それを踏まえて将来に向けてどう再生を図っていくのか、何をすべきなのかということを、非常に率直に議論を重ねたということです。その結果、これまでと違う何かが皆さんの間で共有されて、また次の行動、活動へのエネルギーになってくるのではないかと期待しております。 |
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