吊橋技術の変遷 |
播金 大橋さんは関門橋、因島大橋、南北備讃瀬戸大橋など吊橋にずっとかかわってこられましたが、吊橋の技術の変遷についてお話を伺いたいと思います。 大橋 私が建設省土木研究所に入った昭和31年に若戸大橋の建設がスタートしました。 昭和34年には本四連絡橋の調査が始まり、昭和37年には本四連絡橋の技術調査を土木学会に委託、技術調査委員会の幾多の審議を経て、昭和40年に中間報告、昭和42年に最終報告を受け、より具体的かつ本格的な調査が始まりました。 特に、若戸大橋から遅れること約10年、本四連絡橋吊橋第1号の因島大橋に先立つこと10年、若戸大橋の約2倍の規模をもつ関門橋で、本四連絡橋を念頭に培われた技術が本四連絡橋への技術移転に大きな役割を果たす事になります。 また若戸大橋から関門橋、関門橋から因島大橋へ、大鳴門橋や瀬戸大橋を経て、明石海峡大橋や来島大橋へ建設が進められた事から、比較的難度の低いものから、また規模の小さいものから徐々に難しく規模の大きなものへ無駄のない投資が行われた事は特筆しなければなりません。 関門橋でマスターしておかなければならないものに平行線ケーブルがありました。 文献調査の限界を感じ始めた頃、当時ケーブルの架設工事をしていたベラザノナロウズ橋に人を派遣して、エアスピニング(AS)工法について詳細な調査をする事が叶い、A S の設備の会得にも大きな収穫がありました。 早速、土木研究所千葉支所構内にASの実験施設を造り、広く架線技術の習得を目的にわが橋建協にも実験委託を願った事を思い出します。 その頃、ニューポート橋で実用化されたプレハブストランド(PS)工法が加わり、我が国でもパラレルワイヤ・ストランド(PWS) の開発が進められ、本四連絡橋には従来のAS工法に加え、PS工法の選択も可能になりました。 関門橋のケーブルはもともとAS工法で計画されていたのですが、トルコのボスポラス橋の話があり、それに日本企業が応札するということが判りました。 ケーブルがPWS仕様のPS工法だったので、これを応援すべくPS工法を採用したわけです。 ところがボスポラス橋のケーブルは入札後PS工法からAS工法に変更されてしまい、欧州におけるPS工法のチャンスが失われてしまいました。 本州四国連絡橋のケーブルは因島大橋以降、127本PWSが主流でしたが、下津井瀬戸大橋ではAS工法を適用しました。 平行線ケーブルのマスターを至上目標とした関門橋のPS工法は慎重な準備がなされました。 その一つとして行った試作PWSの展開実験で思わぬ現象を発見しました。 展開中のリール内のPWSが緩んで垂れ下がる“たるみ”現象です。 この現象は最後にはある方法で工場製作の段階で防止対策を講ずる事が可能と判ったので、127本PWSを用いた本四連絡橋の工事でも影響する事はありませんでした。 もし、本四連絡橋の本番でこの現象が起こった場合を思うとかなり深刻でした。 現場における手待ち、手戻りがどれだけ人心に消耗を与えることか、お分かりでしょう。 そうは言いながらも、ケーブル長が4000mにもなる明石海峡大橋では改めてPW S の展開丸験をやって、従来の防止対策が有効な事を確かめたそうです。 その結果工事中にたるみ現象に悩まされる事はありませんでした。 ケーブル架設用吊り足場を作る時に用いるパイロットロープの引渡しにも、種々な工夫がなされたのですよ。 ロープに浮きを付けて海面上を曳航する若戸大橋や関門橋のやり方では、気象、海象の影響をもろに受ける他に、航路閉鎖という社会的影響も出てくるという事で、本四連絡橋ではこれらの影響を軽減し工期の短縮と工事の安全を考えて種々の試みがなされました。 フローティングクレーン(FC)の先端を使った空中張渡しや、明石海峡大橋や来島大橋で成功したヘリコプターによる張渡しなどですが、多岐にわたる選択肢を持つことは素晴しい事です。 関門橋の補剛桁の架設工法で重要だった事は、あの関門海峡の海面を使わなくて済む逐次剛結張出し工法の開発でした。 中央径間側にヒンジを1 箇所入れたものですが、これが本四連絡橋補剛桁架設の原型となり、ヒンジレスの張出し工法や、塔際ブロックにF C による一括架設を併用したものも考案され実用に供されました。 どの方法も工期短縮と安全性向上に大きく寄与するものばかりでした。 塔の架設でも種々の工夫がなされました。関門橋では、若戸大橋から引継がれたクリーパーク |
レーンと、門司側で独立型夕ワークレーンを使いました。将来、明石海峡大橋のような高い塔の場合には、タワークレーンよりもクリーパークレーンの方が主流になるだろうと予想しておりましたが、実際にはその逆で、連結型タワークレーンという、立ち上げた塔と連結して上がっていくクレーンが主流となりました。 今年は、若戸大橋完成後46年、関門橋が35年、その間に本四連絡橋も全ルートが完成しました。 既に瀬戸大橋が開通後20年、明石海峡大橋が10年、しまなみ海道が来年10年を迎える事はある種の驚きにも似たものがあります。 あるプロジェクトは次のプロジェクトに対して常に試験調査的な、時にはパイロットエ事的な努力を続けることが肝要であり、本四連絡橋の高い技術レベルはそれらの成果だと考えます。 | ![]() |
播金 吊橋の構造別の具体的な技術の変遷についてお話いただきました。
川田会長は吊橋についていろいろ本をお書きになっておられます。
海外の技術も含めた吊橋の技術の変遷についてお話を伺えればと思います。 川田 現在の長大吊橋に至るのに、私はいくつかのエポックがあったと思っています。 1つは、ちょうど1901年にブルックリン吊橋の斜材が切れた。 これが契機になって、それまで使い物にならな |
![]() | いと考えられていたメランの厳密解、いわゆるデフレクションセオリーの方が現実に合うという事で採用された。それで長大化か始まる。 その次のエポックは、タコマが落ちた事でして、デフレクションセオリーをどんどん使っていって極限まで行きあの天際事になった。 そして3 番目のエポックがセバーンじゃないかと思います。 フェアリング(厳密に言えば、旧タコマ橋で採用されようとしたのはwindvane:補助翼状の整流装置であって、フェアリングではなかったが、同様な効果が期待できるものであった)と言いますか、流線型の断面にしたらうんと有利になるということが判ってきた。 しかしながら最初のタコマは |
フェアリングをつける予定でその準備までしていて、現場にフェアリングを持ち込んだ時に風が吹いてひっくり返ってしまうんですが。 フェアリングの有効性が判っていたにも関わらず、それはその後暫くの間アメリカでは注目されなくなる。 スタインマンがやったような、トラスにして風を抜くか、或いはアンマンのように、とにかく重くしておけば良いという手法がアメリカでは主流になっていまして、それをサー・ギルバート・ロパーツが率いる英国のコンサルタント、フリーマンフォックス社の技術者達か、流線型の箱桁を用いた吊橋で見事にひっくり返してみせた。 その後、世界の長径間吊橋では全部フリーマンフォックスが勝ってしまいまして、第1ボスポラスやハンバーという当時1410mスパンの世界一の吊橋まで架けるわけです。 ところが、皮肉なことにハンバーができた前後から、例のセバーンのいろんな不具合が一挙に噴出してきます。 初めはハンガーやその定着部が次々にやられる。 その上にいろんな問題が出まして、タワーまでが持たないとか。 あの頃の欧米の技術者の論争は、まずホンベルグが斜めハンガーは駄目だと言った。 あれでは交番応力が出て疲労するという話です。 もう1つは、フリーマンフォックスサイドがそもそも最初の設計荷重の取り方が間違っているんだと主張しました。 その時に、ちょうど私は平井先生といろいろお話をしていまして、死荷重をちょっと増やせば斜めハンガーなんか無くても良い、セバーンの問題は解決できるという論文を先生にお話ししながら書きまして、それをホンベルグ、フリーマンフォックス、スタインマンコンサルタント、アンマンのアンマンホイットニーなどに送っておいて、平井先生と一緒に会いに出かけてきました。 これが1984年の事です。一番最初に、フリーマンフォックスでビル・ブラウンに会いました。 その時、彼は必死になって設計がまずいんじゃない、あのアイデアがまずいんじゃないという事を言い、想定以上の大きな活荷重が原因なので、現地で交通制限をするべきだとか、そんな話をしていました。 それから、ホンペルグに会いました。ホンペルグは私たちの主張のとおりだと。 やはり斜めハンガーは止めるべきだ。私たちは斜めハンガーを止めて、バーティカルハンガーにして質量を増やしなさいよと言ったのです。 ビル・ブラウンは、フリーマンフォックスを辞 |
めまして、トルコ側の技師長かなんかでいたと思いますが、結局その時に、このぐらい質量を増やせば良いんだといった、私たちの提案した案をそっくり使うんです。
第1ボスポラスが平米当りの鋼重が286kgですが、第2は379kgになっていました。32%橋床重量を重くしました。
そしてバーティカルハンガーにした。これがそれから後の、フェアリングをした吊橋の主流になってきます。
それまでの荷重を少し重くする事によって、何も斜めハンガーにしなくても済むようになるんです。
それ以降これが標準仕様になって、グレートペルトなんかも随分死荷重が重くなっています。
セバーンは、大変な補修や補強工事をいろいろやりますが、最終的には改修費がイニシャルコストの2.5倍もかかっているんです。
あんな橋は他に聞いた事ないですね。 | ![]() |
阿部 吊橋と鉄道の関係の話ですが、本四架橋計画はもとは鉄道連絡船の事故でトンネルか橋に代えようと計画して国鉄内部に検討委員会を設けました。
橋の場合スパンが長くなり、吊橋も魅力があるので鉄道走行と橋との関係が研究されました。
一方、アフリカの旧ザイール国のマタディ橋が日本の援助で造られる事になったのですが、川幅が広く底が大変深いので一渡りするのにスパンの長い橋梁が必要になります。
土木学会に伊藤さんを委員長、私が幹事で検討委員会を設けました。鉄道を通すためには剛でなければならないという事で、トラス橋やアーチ橋を主張する委員もいましたが費用が高くなりました。
一方、吊橋や斜張橋の鉄道橋の研究も先述の様に既に開始していたので、本四架橋も見込んでこれらの形式の橋を試みようじゃないかと意気込む委員も多くいました。
結局、中央支間520mで側径間の短い吊橋で補剛トラスの上層部に道路、下層部に鉄道を載せた構造が設計され架設されました。
現実には資金不足により鉄道路線は建設されず、現在道路部のみ開通して使われています。
もし鉄道が通っていれば、本四の橋梁に先んじて世界初の本格的な道路鉄道併用吊橋という事になったわけで少々残念な感じがします。 下瀬 都立大の故伊藤文人先生に検討してもらった振動と脱線の研究の成果は非常に重要だと思います。 特に、軌道伸縮装置の実物大模型を使い、数百万回の往復運動をさせた実験は大変でした。 阿部 1.5m伸縮しますからね。普通の伸縮装置ではだめなので、特別のを開発しました。 |
斜張橋の変遷 |
播金 伊藤先生は、今までに、勝瀬橋からずっと斜張橋の技術委員会の委員長的な立場で関係されてきていますが、斜張橋の変遷についてお話を伺えればと思います。 伊藤 考えてみれば、最初の勝瀬橋から多々羅大橋まで深く関係してきましたし、今は世界一になる中国の蘇通長江大橋(1088m)の技術顧問をやらされていますが、本当に斜張橋には随分ご縁があったと思います。 実は、勝瀬橋の時に、当初斜吊橋って言ってたのですね。けれども、吊橋と斜張橋とは力学的原理が違うし、紛らわしいから何か良い言葉はないかというので斜張橋という言葉を提案して、それが採用されたのです。 斜張橋という日本語の名付け親になるのです。日本語は斜張橋ですけれども、中国では斜拉橋。中国とも共通点のある言葉になったのですが。 それで、勝瀬橋で斜張橋の第1号が出来た。その後、横浜ベイブリッジ以来、鶴見航路橋、名港中央大橋、多々羅大橋とその当時日本で一番長い斜張橋の、いずれも技術委員会の委員長をやらせていただきました。 ただ、ある時期からちょっと斜張橋がブームになり過ぎて、もう少し他のものをいろいろ考えても良いじやないかという気持ちにもなりましたが。 確かに経済性あるいは美観の点からいって、いっとき随分歓迎されたのは事実です。 ただ、私の恩師であり、吊橋の権威であられた平井先生が、「おれは斜張橋は嫌いだ」と言われたので、その事がずっと後まで頭にあって、恩師がああ言われたのにこれで良いのかしらと思いました。 でも、斜張橋について言えば、特に鋼の斜張橋の場合、日本はもういっときから世界をずっとリードして、本当に素晴らしい技術発展を遂げたと思います。 今はご存じのように、中国が斜張橋の大ブームでして、香港のストーンカッター(1018m)もできれば、来年の中頃には、世界のベストテンのうち7つぐらいは中国ですね。 あと他の国で残るのは、多々羅大橋(890m)、ノルマンディー(856m) と、韓国の仁川(インチョン) 大橋(800m) 、その3つぐらいしかないという状況ですけれども。 大橋 私は、やはり500m以上は吊橋の独壇場であろうなんて書いた事がありますよ。「あろう」だから良かった。 川田 オーコンナー*という先生が書いた、向こうの教科書みたいな本がありますが、ちょっと古いのですが、それを見ていると、斜張橋は300〜1100フィート(90〜330m)ぐらいが最適スパンでしたね。 それ以上はもう吊橋だけだと。それが斜張橋でも今やこんなにスパンが跳ぶとはね。 *COllin O’Connor“Design of Bridge Superstructures”Willey-lntersdence.1971 |
海外橋梁の取組み |
播金 次に、海外の経験の多い下瀬さんに、海外工事の取組みについてお伺いしたいと思います。 下瀬 最初にジェネラルな話をしますが、日本の企業が取組んでいる海外橋梁には幾つかのパターンがあり、一番単純なのはアメリカのゼネコンの下請、日本で製作して輸出するというものです。 一番大変なのは現地で上下部工、基礎工、道路工を一括して請け負う工事です。 さらにもう1 つ、以前からもありましたが、東南アジアとか中近東などで、役所自身が発注するケースで、それは上部工を担当する事になります。 最近では三者関係が大体浸透していますから、発注者、コンサルタント、請負者の二者関係で仕事が行われるのが一般的です。 私が最初に担当したニュージーランドのオークランドハーバー橋は、約1万t ぐらいの鋼床版の連続箱桁です。 上下部工一式ですが、代案で受注しました。落札価格はもちろん代案は本案よりも少なくなければ勝てないのですが、工期短縮も非常に大事なポイントでした。 この工事は大ブロックエ法ですが、その当時の大ブロックエ法は佃大橋の150t が最大でしたが、この工事は250t でした。 原案は部材も含め全部現場溶接です。これをまともに見積もると非常に高いものになるので、代案では日本でブロックまで製作して、現地で現場溶接としました。 しかし、日本でも現地でも溶接についてはものすごく苦労しました。 次にトルコのゴールデンホーン橋は別な形で代案入札が認められた競争設計です。日本のコンサルタントが設計を担当していましたが、原案は斜張橋です。 それを、亡くなられたら成瀬さんが鋼床版2 主叛桁でやろうという事になって、地質調査も含めていろんな事を考えて代案を提案し採用されたわけです。 この工事はドイツのゼネコンと組んだ乙型です。 この路線は空港へ行く道路で物すごい交通量になるので、後に本橋の両側に箱桁を架設する拡幅工事を行っています。 次にマタディ橋ですが、この橋は上下部工、基礎工の一式工事で日本型の甲乙方式でして、阿部さんのお話にもありましたように結果的には鉄道の通らない併用橋です。 本橋のケーブルはPWS-127を用いたPS工法です。 トルコの第2ボスポラス橋も代案で工法と工期の面で入札に勝ち受注しました。 塔は全部トラックレーン架設で、ケーブルはエアスピニング(AS)工法です。ASの工期短縮のため素線径φ5mmをφ5.38mmに変更し素線数を減らしました。 パイロットロープは、あらかじめアンリーラから海際の2P、3Pの塔頂を介して海岸壁まで引き出しておき、両岸からタグボートで中央に向って引き出し、海峡中央で連結した後巻き上げました。 これを南側と北側の2回行いました。あそこは国際航路です |
が、3日間航路制限を行いパイロットロープとキャットウオークロープを渡しました。
補剛桁ブロックは海からの直下吊架設です。
ところがヨーロッパ側、アジア側共に約200mほどの陸上部の補剛ブロック架設かおり、この範囲はスイング架設工法を採用しました。
海峡の管理局の理解と協力が得られたので航行制限をせずに架設を実施できました。 最後は、カザフスタンのイルティッシュ河橋梁という陸上の河川に架かる吊橋です。ケーブルはAS工法です。 ケーブルの架設工法はPS工法と比較し、機器材を工夫して工期を短縮し、経済性の面で有利なASを採用しました。 本工事も上下部工一括で受注しましたが、一括受注のメリットは、上下部工をシリーズではなく並行してやれる事で、そこで工期を短縮する事が可能になります。 | ![]() |
技術者、プロジェクトマネジャーのあるべき姿 |
播金 ご経験談を大体一通りお聞かせ頂きましたが、次に現在の鋼橋業界への苦言とかアドバイス等がございましたらお伺いしたいと思います。
長谷川さんからお願いします。 長谷川 先ほどお話ししましたが、構造物が非常に複雑になってきているわけですね。 それで、設計も当然苦労しているのだと思いますが、ファブリケーターの機構からいくと、設計・製作・架設が分業になっておりまして、一貫して見る人が少なくなりました。 先ほど下瀬さんの話がありましたように、工期を短縮するとか経済性を出すためには、やはり工程のラップや架設機材や架設設備の共用を考えないといけないわけですね。 本質的にコストのセーブは大きなポイントで、やはり一貫して責任を 持った技術者が立つべきだとは思います。我々の事情からいくと、なかなか難しいのですが、それと同じような効果が出るシステムを何か考えていく必要がある。 それから、設計技術者が、製作とか架設に、また維持管理に十分理解を持っていないために安易に設計されている部分が結構ありまして、そういうものが将来、構造的に禍根を残すようなものを造っている可能性も十分考えられると思います。 やはりファブリケーターとしてこれらをどう解決していくか考えていかないといけないと思います。 それと、契約の問題で、我々がどういう契約形態を推奨していって、我々の分野をどう守っていくかが非常に重要な問題だと思います。 我が国は下部工と上部工の分離発注が原則ですけれども、これからの人にどうすれば橋梁建設システム全体を合理的にしていく事ができるか考えていただかないといけないと思いますね。 下瀬 同様の話は、実はこの間、現役へのメッセージという文の中に書きました。 その第1項目が人材育成で、営業・契約・設計・製作・運搬・架設・十木など一気通貫でマネジメントできる技術者の人材育成について書きました。 これは今言われた事に通じます。海外プロジェクトを担当していると判りますが、コンサルタントの技術者との一対一のお互いの信頼関係で進みます。 そうすると仕事が非常に早くできます。 |
鋼橋の課題 |
阿部 先ほどセバーン橋にからみ鋼橋の問題点について話が出ましたが、鋼橋の対抗馬としてコンクリート橋があります。
鉄道橋の場合も特に東海道新幹線以降、コンクリート橋の採用が非常に多くなりました。
塗装費などの経済的理由だけでなく騒音公害の問題が大きく取り上げられ不利になりました。
現場を担当する局も住民の反対を考慮し、鋼橋の採用を始めから避けるようになりました。
主に東海道新幹線の既設鋼橋の騒音問題を研究、解決するために、国鉄内部に大きな委員会を設け外部の音響関係の専門家も入って頂きました。
私は新幹線の鋼橋の設計に携わっていたので幹事になりました。一方、実効性のある騒音対策方法を実現する事が急がれ、その仕事も担当しました。
私達土木技術者は大学などで音に関して学んでいないので、一から勉強をしなければなりませんでした。
ある時期には私は精力の3 分の2 は騒行対策に注いで現在の方式をあみ出し一応の解決を見ましたが、構造や材料には未だ改良の余地があると感じています。 列車走行が沿線に及ぼす振動公害も重大問題でこのため鉄道の建設が滞ります。 また、近頃は構造物の美観に対する配慮も厳しく問われる傾向があります。 鋼橋の桁のむき出しの姿は余り世に受け入れられない事も理解できます。 私が国鉄を辞する前に関係した代表的な橋梁に山陰本線の保津橋梁の建設がありました。 災害防止などが路線を付け替えた主な理由でしたが、架設工事などを考えて保津川の渓谷に架かる5橋は全て鋼橋になりました。 しかしこの辺りは京都府指定の風致地区であり、橋梁の景観や騒音に対しても厳しい条件が付けられました。 費用的には通常の鋼橋よりも嵩みましたが、かなり成功したと思います。 なおこの橋梁群に対しては土木学会の田中賞が授与されました。 アーチ的な外観にしましたが鋼橋の骨っぽさを見せない構造にし、さらに外面には耐候性鋼板を無塗装で使いました。 チョコレート色ですが周囲は岩や樹木が主で四季を通じて環境とマッチしていると思います。 伊藤 保津川下りの観光でちょっと眺めただけですが、あれは壮観ですよ。 下瀬 無塗装橋は最近大分増えているという風に聞いていますが、僕はまだ理解が足りないなと思っています。 大体、鋼橋派の人も反対の人がいます。反対の一番の理由はまず色が汚いという事です。 時間が経てばコンクリート橋も同じなのですが、ただ、桁端のような部分は腐食が進みやすいから、塗装するなど対策は必要です。 阿部 錆という既成概念があるから、表面に何ら処置を施していない橋だというふうに思われてしまいます。 伊藤 ところで合成桁はなぜ日本ではこんなに嫌われたのか。 さっきの斜張橋にしても、斜張橋の合成桁というのは昔、大和川の小さな斜張橋だけで、後は全然ないでしょう。 ところが、海外では結構500m、600mの斜張橋で使われていますね。 長谷川 あれは、床版が損傷を起こす例が非常に多かったのですね。 先ほど話しましたが鋼重優先で設計したので床版が薄かった。 それから、普通の桁の場合ですと、コンクリートの乾燥収縮による応力が発生して、施工が終わった時に既に初期クラックが発生しているという事が起こる。 それから、荷重が大きくなって、あるいは頻度も多くなった。 また施工管理上の問題もあるなどコンクリート床版が壊れる要因が多数あり、それらが複合していると思いますが、合成桁では床版が損傷してしまうと鋼断面に不足がおこり、処置に困るという事です。 それとその当時の床版の設計は橋軸方向のモーメントは非常に見積もりが小さくて、配力筋は確か主鉄筋の25%を入れれば良いという設計だったわけです。 ですから、当然床版は損傷を受けるわけで、当時の建設省がこれはだめだと、床版を厚くし、合成桁を止めるようになりました。 伊藤 それからもう30〜40年経っているけれども、相変わらずそうでしょう。 外国では、もう合成桁にするのが当たり前になっている。 それから、日本でも非合成桁として造っても、結局中立軸が上へ上がり、合成桁みたいな応力が入る。 長谷川 だから、むしろ合成桁の方が上の断面が小さいから、乾燥収縮による応力は小さいはずですね。 普通の桁の方が大きいのですが、基本的には普通の桁だと、上フランジとコンクリートの間がある程度滑るだろうという、床版と主桁を構造的に分離して設計を行っていた名残があって非合成になったのだと思います。 ですから、縦方向に応力が入る事で乾燥収縮の初期クラックを防ぐとか、床版強度を上げる工夫をしてやれば、床版はうんともつと思いますね。 阿部 もう1 つは、鋼橋の技術屋がコンクリートの知識が不十分だった事も考えられます。 上部工と下部工の境界問題も考えると、鋼とコンクリートの両方を知っていなといけないですからね。 |
鋼橋建設業界に対する期待 |
播金 苦言、アドバイスに絡んだいろんなご意見を頂きました。
今お伺いした中で、コンクリートだとか上下部だとか、音、振動だとか、トータル的に判る技術者を目指して我々は頑張らなければいけないというふうに受けとめました。
まだいろいろご意見があろうかと思いますが、時間がまいりましたので最後に伊藤先生に一言お願い致します。 伊藤 今日は技術の話だから余り業界の話をするのはちょっと場違いですが、今、2つだけ心配な点があります。 1つは、最初に申し上げたように、日本の国内だけで、70〜80万t 毎年供給していたというのは尋常の事ではなく、海外への対応というのを考えて欲しいというのがこれからの問題としてあると思います。 それからもう1つは、鋼橋の需給がどうしても今能力的にアンバランスになっている。 だから、いずれ業界もある程度コンパクトな姿になるのかもしれませんが、ともかく、優れた人材と優れた設備が今まであるわけですから、それを集約した産業への脱皮というのを皆さんに考えてもらいたいというのが、前会長を経験した実感です。 今日は卒業生の座談会ではありますが、現役の方々にぜひ将来に向けて考えて頂きたいと思います。 |
播金 本日はいろいろな経験に裏づけられた数多くのメッセージを頂きありがとうございました。
正直、我々、中堅、若手、余り元気がない状態に今あるかなと思います。
本日頂きましたメッセージの中に、いろんなヒントがあると思いますので、それを今後の道しるべとして、元気を出して積極的に動いていかなければと思います。 本日は長時間ありがとうございました。 | ![]() |
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